マダムの思うこと
故郷について

故郷を離れたいと思っていた若い頃

田辺生まれの田辺育ち。この町が故郷です。
10代の頃は田辺から出ていくつもりでいました。高校卒業後渡米し、カレッジに学び、米国永住を考えた時期もありました。

しかし、このままアメリカに留まることはできない、帰らねばならない、との思いに引かれ、卒業を機に帰国しました。

田辺での生活が再スタートしましたが、いずれここからは出ていくとの思いに変わりはありませんでした。当時の私は生まれ育った土地に窮屈さを感じていて、そこから逃れたいとばかり考えていました。

留まることを決意

ところが、ある日、叔母から父の幼少時代の苦労話を聞かされました。
「お父さんは同級生が登校するのを眺めつつ、水はけの悪いどうしようもない痩せた土地を学校に行けずに耕していたよ」
その話を聞いて、私の中で進む道の方向が変わりました。
「じゃあ、もう結婚せんでもいいわ。このどうしようもない土地をどうにかして盛り立てていこうじゃない!!」
そう思った途端、すっと何かが腑に落ちてくるのがわかりました。

大きな変化が私の心の中で起こりました。郷里に感じていた窮屈さを否定せずに受け入れたら、こんなにも心が楽になるなんて。自分を好きになると、周りや自国までも好きになれました。

この故郷、紀南の佳さは海、山があり、人の温かみがあるところ。
四季を通じての生活を彩る行事や習慣も興味深く、世界遺産熊野古道なども魅力的なところ。
渡航の何よりの収穫だったと今改めて思うのは、故郷や日本のよさに気付かされたことです。
外に飛び出して初めて故郷の佳さに気付き、そして私の心の中に大きな変化があって、故郷が好きになりました。

この地を守る。そう決意して私は郷里に留まることを選びました。

この地を守るには

結婚しなくてもよいと考えていた私ですが、主人と出会い結婚し、そして当店開業のきっかけを作ってくれた妹に入れ替わってケーキカフェを2人で営むことになりました。

この地を守るためには何をしたらよいのか。

この町で生まれ育った子どもは高校卒業後には県外に出て行き、多くは出て行ったまま帰って来ません。とくに若い女性の激減は予想できることでした。若年女性が減れば子どもも減り、どんどん人口が減っていき、いずれは人が暮らせない地域になってしまいます。私が好きなこの土地を人が暮らせない場所にはしたくありません。

この地を守るためには地域の人に働いてもらえる場所を提供すること。

食材はできうる限りで国産、かつ地場の農産物を使用すること。

食材以外の様々な物品の購入についてもできる限り地域のお店を利用すること。たしかにネット通販は便利かもしれないけれど、それでは地域外にお金が流出してしまいます。地域内でお金を循環させること。人材も食材もお金もこの土地で。

この地に住み続けてほしい。職場体験に来る中学生にもお伝えしたいことです。
私たちが生まれ育ったこの町はとても魅力的なところなのです。